73式

妙齢専業主婦の雑記帳である。文章を書く練習のため、ほぼ毎日更新の予定。

バーコードじじぃ

 以前にも言及したが、私の一番古い記憶は、父との壮絶な大音量バトルである。

 母親の胎内にいた頃の記憶を持つ人もいるという。何をどこまで覚えているかに平均はないと思うが、それでも他人の記憶が気になる。私の夫は中学生になる前の記憶があまりないという。彼は十一歳まで、父親の仕事の都合で世界各地を転々としていたので、あまりにイベントが多すぎて全てをいちいち記憶していないのかもしれない。

「俺の自我は中一で発生した」

 さすがにそれはどうかと思う。しっかりしろ。

 私は東北の片田舎でのんびりと育ち、大した事件も起きなかったせいか、乳幼児の頃の体験を結構覚えている方だ。

 母方の祖父は私が三歳の頃(たぶん)に亡くなった。酒と煙草が大好きな人で、癌を患っていた。祖父の臨終の際に病院にいたこと、母の実家の和室で祖父の遺体を親類縁者がずらりと囲んでいたこと。四つ上のいとこがボロボロ涙をこぼしていたので、「あぁ、これは悲しいことなんだ」とぼんやり思ったこと。泣いた方がいいのかな? と思いつつ、渡された湿った布で祖父の顔面を拭きまくったこと。六つ上のいとこが持って来ていた猫のぬいぐるみを妹と奪い合ったこと。火葬場に行くバスの中で母とはぐれて泣いたこと。おぉ、やっぱり結構覚えている……。

 祖父が元気だった頃の記憶もある。彼はひょうきんな人だった。コタツの影に姿を隠しては「ばぁ~!!」と突然登場し、私をキャッキャと喜ばせた。単純な遊びだったが長々と祖父はつきあってくれた。日本酒をこっそり私に飲ませようとしたところを祖母に見つかり「子どもに何飲ませようとしてんだ!!」と叱られていた。叱られたそばから煙草を吸わせようとして、祖母に血祭にあげられていた。近所でやっていたお祭りに妹と一緒に連れていってくれて、宝石のおもちゃのセットとわたあめを買ってくれた。口さみしくて氷をついつい食べてしまうが、これも祖父の影響だ。

 しかし、これは一体何歳の頃の記憶なのか。祖父は癌を患い少なくとも半年から一年近く、ひょっとしたらそれ以上入院していたはずだ。私の記憶に残る祖父は元気モリモリか、死んでいるかの両極端だ。母親に「じいちゃんて何年に死んだの」と聞いてみたら、「昔すぎて忘れちゃったよ」と返された。オイ!!!

 祖母がボケてケアセンターに入ったため、祖父の遺影と仏壇は現在私の実家にある。遺影の祖父の髪は黒々としているが、いわゆるバーコードハゲである。帰省した際、お菓子をお供えして線香をあげ、チ~ンと鐘を鳴らして手を合わせる。普通のハゲよりバーコードで隠している方が逆に頭髪の寂しさを主張してネタにされやすいと思うんだけどなぁ、とそのたびに思う。

 霊界でも祖父は、櫛を駆使して*1髪型を整えているのだろうか。

*1:洒落じゃありません。