73式

妙齢専業主婦の雑記帳である。文章を書く練習のため、ほぼ毎日更新の予定。

命日

 今日はA先輩の命日である。

 A先輩は数年前、学祭の翌日に突然亡くなった。私達の学祭は三日間行われ、三日目に打ち上げと称して棟内で夜通し飲み続ける。A先輩は疲れからかものすごく酔っぱらっていて、勝手に私の膝を枕にして寝始めていた(笑)。その感触、全然覚えていない。そういうことがあったという記憶だけだ。触覚ってあんなにダイレクトなのに、案外忘れやすいのかもしれないなぁ。A先輩は朝方に、仲の良かった先輩たちと独り暮らしをしていた家に帰宅し三人で寝なおしたそうだ。他の二人が目を覚ましたとき、A先輩は既に息をしていなかった。

 A先輩の実家は九州なのだが大学は東京だったので、親御さんが気を遣ってくれて東京でお通夜とお葬式を行ってくれた。お父さんの「A、まだ二十四になったばかりであります! 全く親不孝もんですが、こんなに友達がきてくれて、幸せなやつです」という台詞で、思わず嗚咽が出た。

 A先輩は人が好かった。優しかった。ギタープレイはめちゃくちゃ激しかった。その学祭で、私はA先輩と凛として時雨のコピーバンドをやらせてもらった。その音源を聴きながらこの記事を書いているが、私、演奏に必死で歌が超へったくそ(笑)。でも、すごく楽しかったんだよなぁ。それまでで一番練習したコピーバンドだと思う。3ピースだから一人一人やることが多くて合わせるのが大変だった。油断するとすぐバラバラになってしまうのだ。


凛として時雨『DISCO FLIGHT』 - YouTube

 ね、合わせるの難しそうでしょ。私はベースボーカルでした。

 先日、毎年行われる追悼飲み会に参加した。軽音楽部は既に世代交代しきっており、A先輩を知る者の集まりは必然的にOBOG会となる。参加者のほとんどがA先輩の年齢を越えているか、同い年だった。みんなそれぞれ社会人になったり院生になったり結婚したり大学八年生で崖っぷちだったり(笑)、環境は変わっても飲み会の雰囲気は同じだった。A先輩だけが、二十四歳のままiPadの画面の中にいた。

 酒も煙草もやらない私は、正直飲み会はあんまり好きじゃない。酔っ払いは面倒だし、みんなうるさいし、料理は野暮ったくて大味なのに三千円は確実に取られるし。でも楽しかった。あんなに大声を出して笑ったのは久しぶりだった。みんなバカなんだもん(笑)。

 幹事のKは私と同期だが、A先輩とは親友だった。

「いつでも組めると思って、やりたかったバンド先延ばしにしとった。正直、最期の学祭で七味たちがAとバンドやってて、Aがすごく楽しそうで羨ましいなと思った」

 Kの心中はその一旦を察することしか出来ない。恐らく理解しようとすることは彼らの友情への冒涜に値する。「ごめんなさい」と思ったが、口にはしなかった。

 A先輩の話を仲間内以外で詳細に語るのはこれが初めてである。何というか、A先輩の優しさにつけこんで面倒なギターを頼みまくっていた私が、A先輩を偲んでどうこう言うのはKに対して申し訳ない気がしていた。A先輩の死は全員に平等だったが、私とKの食らった打撃の差は絶対に平等じゃない。

 それでも書いた。初めて書いた。いつか知人がこの記事を見つけるかもしれない。そしたら私が誰だかって普通にバレるな。「A先輩の死を自分のアクセサリーにするな」と叱られるかもしれない。当時はそりゃ泣いた。「死んじゃった」という言葉しか出てこなかった。今はさすがに落ち着いている。落ち着き過ぎない前に、一度書いておきたかった。A先輩のお母さんが「Aのことをどうか忘れないでやって下さい」と言っていたから。


(PV) ROSSO - 1000のタンバリン - YouTube

 この曲やってた先輩、めっちゃかっこよかったよ。またいつかバンド組みましょう。