糸と意図
一週間が終わりに近づくとやる気がなくなる。元からないやる気がその存在すらも忘れてしまったかのように動けなくなる。やる気って……やる気って何だっけ……? 常に何もしていないが今日は輪をかけて何もしていない。下の方の記事に初めてコメントを頂いてキャッキャしたくらいである。
わざわざ言い直す必要もないのだが、病的なまでに根性がない。面倒臭がりのオッサンを十人集めてもまだ足りないくらいの面倒臭がりである。面倒臭がり屋トトカルチョゲームが秘密裡に行われ、参加者には内緒でカメラを自宅に設置。大本命でそのままぶっちぎりでトップに躍り出るほどだ。行われてもいないトトカルチョで「やっぱりな」と肩を落とす配当の少ないコインを手にしたスーツのオッサン達の姿さえ見える。
小学生の頃、同じクラスの男の子が絵の塾に通っているのを羨ましく思っていた。親に何度か「私も行きたい」とせがんだが、「絵の塾はお金持ちの家の子が行くもの」と取り合ってもらえなかった。仕方がないので自宅でチラシの裏やノートに好き放題に書き散らしていた。中学生くらいになって「うちは貧乏だから音大や美大には行かせてあげられないよ」と告げられた。ガビーン。視野の一際狭かった中学生の私は、そのまま何となく絵を描かなくなってしまった。
というような話を夫にしたら、「今から通ってもいいんだよ」と言ってくれた。全く涙が出るね。正しく菩薩である*1。女だったら女神である。進撃の巨人だったらクリスタちゃんである。そして私には根性も社会性もない。「決められた日、決められた時間に、決められた行動をする」という人間として当たり前の行為に、ものすごいプレッシャーを感じてしまうのである。
何でこんなことになってしまったんだろう……。昔はもっとガッツ石松的なものがあったような気がするのだが……。今はただただ堕落している。神が気まぐれに落とした蜘蛛の糸を掴むだけで、引っ張り上げてくれるのを待っている。自分で上ってやろうという気概がない者にとって、蜘蛛の糸は一筋の希望だけれど重すぎる。
*1:男性には修羅タイプと菩薩タイプがいると思っているが、それについては別の機会にまとめたい。